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1号との出会い

今から20年くらい前の1999年頃、関東に住んでいた時にラーメンライダー1号と出会った。

確か僕がホームグラウンド目黒THE LIVE STATIONでバンドのライヴをした日、幸運にも共演できた伝説のメタルバンド「JURASSIC JADE」を観に、彼は愛馬のYAMAHA TDM850で来ていたんだと記憶している。

僕は’89年式Kawasaki ZX-10に乗っていた(今も不動だが手元にある)。

当時は駐禁も今ほど厳しくなく、ライヴハウスには出演する時も観に行く時もよくバイクで行っていた。
彼もそんな一人だった。

ライヴハウスで大型バイク乗りを見つけ嬉しくて、僕は彼に声をかけた。
聞けばラーメンライダー1号らしく、日々愛馬でラーメンパトロールに出動しているとの事。

ラーメン好きな僕は彼と意気投合し、その日のうちに6号にならないかと誘われた。

ちなみに2号から5号までは行方不明らしく、実質メンバーは1号と僕6号の二人である
(後に裏ラーメンライダー1号が奈良に居るという事を知る)。

メンバーになるには特に条件などは無いとの事だったが、一つだけ守らないといけないルールがあるという。

それは「一生やめることは出来ない」というもの。

もちろん僕は二つ返事で加入を引き受けた。

ラーメンパトロール

当時僕は千葉県市川市の南行徳に住んでいた。

南行徳にはがんこラーメンがある。

つや消しの真っ黒な外壁に、営業時は牛の大腿骨が極太のチェーンで吊り下げられているという、なんともイカツ過ぎる店構えに、強烈な一見さんお断り感を漂わせている。

だがしかしその味は、ひじょうに繊細なダシの塩ベーススープにとろけるようなチャーシューの載ったもので、その店構えとのあまりのギャップに、僕は脳天を撃ち抜かれるようなかつてない衝撃を受けた。

さてラーメンライダーの主なミッション「ラーメンパトロール」だが、これは旨そうなラーメン屋を探しては愛馬で食べに行く、という至ってシンプルなもの。

あとはお気に入りの店の味が落ちていないかを定期的にチェックするという使命もある。

当時はインターネット黎明期であり、今のようにスマホで手軽にラーメン情報をリサーチ出来る状況ではなかったが、1号の知識はかなり豊富だった。

その彼に教わりすっかりハマったのが家系ラーメンだ。
今でこそ全国的に名が知れているが、それでも本当に旨い家系ラーメンは少ないと思う。
個人的には新中野の「武蔵家」が好みである。

初めて食べた時の、とんこつ醤油・太麺・海苔に鶏油(チーユ)のハーモニーは、がんことはまた違った衝撃があった。

ある日のこと、仕事帰りにパトロールしようと1号に電話したところ、今日はもうパトロール済みとのこと。

しかし彼は付き合ってくれるという。その時の

「だって俺たちラーメンライダーだろ?」

という彼の言葉を今でも忘れられない。

別離

そんな関東での活動をそれから1年ほど続けたある日、僕は関西のバンドに加入するため、仕事も辞めて故郷の大阪へ戻ることになった。

せっかく国立大学を出てそれなりの企業に就職したことを考えると、全く売れるとは思えないメタルバンドのためにそのキャリアを捨てるのは正気ではないと思う。

もちろん親にも反対されたが、決意は固かった。

結果的に今は別のバンドに在籍しているが、当時帰郷していなかったら今のバンドへの加入も無かったと思うし、おそらく今の嫁にも出会えて無かったと思うと後悔は無い。

色々お世話になった1号には、引っ越しの際にZX-10を一時預かってもらうという、最後までお世話になったのだった。

最後とはいっても一生ラーメンライダーは背負って生きるのだし、住む場所が少し変わるだけだ。

奈良には裏ラーメンライダー1号がいるし、僕はマイペースで活動を続けられた。

ちなみに裏ラーメンライダー1号もJURASSIC JADEのファンであり、一度東京まで二人でJURASSIC JADEのライヴを観に行った事が良い思い出となっている。

そんな日々がしばらく続いたが、次第に多忙にもなっていく中、いつの間にか彼らとも疎遠になってしまった。

思えばバンドを移籍した際、メタルバンドとはいえ違うシーンのバンドへの移籍だったので、JURASSIC JADEとも縁遠くなってしまったのはその理由の一つかもしれない。

もちろん僕は一生ラーメンライダーなので、今でも駐輪場で眠っているZX-10にはラーメンライダー1号お手製「ラーメンライダー6号専用機」のテプラが貼られているし、そのスピリットは生き続けている。

そろそろ彼らに連絡してみようかな。

 

 

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